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August   2003

2003 / 8 / 31 ( sun )
晴れ

 7時前には目が覚める。マンハッタンのホテルの4階の
部屋にいると、窓の外を眺めてもその日の天気がわからな
い。テレビをつけると、どうやらいい天気らしい。良かった。
 ホテルの近所、フラットアイアンビルの界隈を散歩して、
朝食は中華街まで出かけた。洋食には流石に飽きた。地下
鉄をカナルストリートで降りて階段を上ると懐かしい匂い
がした。見慣れた顔立ちの人が多くいると、何だか安心す
る。アジア的な雑然とした通りの様子にも何だかほっとさ
せられる。特に必要もなかったが、人だかりがしていた屋
台で1本3ドルのベルトを買った。適当な店に入って魚団
子の入った麺を注文する。一杯2ドルちょっと。だしのき
いたスープが美味しい。このだしの感覚というのは、アメ
リカの料理からほとんど感じることがない。食後、隣のリ
トルイタリーでエスプレッソでもと思ったが、やめて近く
のスターバックスに入った。10年前、はじめてニューヨ
ークに来た時の、あまりよくない印象を思い出したので。
コーヒーもピザも美味しくなかったし、何となく歓迎され
ていない気がしたのだ。リトルイタリーは中華街に比べる
とどこか寂れていく一方にも見える。中華街は来るたびに
人も増えて、町も大きくなっているように思うのだが。リ
トルイタリーは、ツーリスト向けの小さな通りという印象。
 熱すぎる本日のコーヒーを時間をかけてすすりながら、
今日の予定を考える。15時にはポートオーソリティーか
ら、ジャイアンツスタジアム行きのバスに乗らないといけ
ない。それまでの時間をどうつぶそうか…。
 
 一度ホテルに戻ってグラウンド・ゼロに行った。金網ご
しに中をのぞく。星条旗と巨大な鉄骨で作られた十字架が
なければ、巨大な工事現場にしか見えない。深く掘り下げ
られたところには、多くの重機が入って沢山の人が忙しく
動き回っている。2年前の9月11日、テレビを通して見
た風景はそこにはない。残骸はきれいに片付けられていて、通りには、あの日の写真集を売り歩く女やピーナッツ売り
の男、そして数えきれないほどの観光客。階段を上って展
望フロアに行くと、矢印の先には「Restaurants」、「Shops」というサイン。すっかり新しい観光地/戦跡地
という様相だ。あの日、数々のメディアが伝えた呆然とす
るような映像と、目の前の光景がなかなか結びつかない。
 きっと多くの人は、あの日のことを、さまざまな形で引
きずりながら、悲しさ、辛さ、苦さ、色んな感情を懐にし
まって、前に向かって歩き出しているんだろうな。「マイ
・シティ・オブ・ルインズ(廃虚になった僕の町)」とい
う歌を想い出す。これはすっかり寂れてしまったアズベリ
ーパークのことを歌った曲なんだけど。

 午後3時過ぎ。ポート・オーソリティーバスターミナル
から、ジャイアンツスタジアム行きのバスに乗る。リンカ
ーントンネルを通って15分ほど。トンネルを出て窓の外
にマンハッタンの風景が広がると、バスの乗客は一斉にそ
ちらに目をやった。マンハッタンのスカイラインはニュー
ヨーカーにとっても、目を奪われる光景のようだ。
 バスループに着くなり、アリーナの入口のあるゲートC
を目指す。僕が持っているチケットは、アリーナ最前列に
あるスタンディングエリア。通称G.A。(General
Admissionの略)ここには座席がなく、約400人がこの
スペースに入ることができる。インターネットを通じて、
チケットブローカーという合法ダフ屋で手に入れた。この
ゲートCでは、チケットを見せるとナンバリングされたプ
ラスチック製のリストバンドをくれる。僕の番号は308
番。すでに300人以上が来ているというわけだ。で、実
際の入場順は、午後4時半の時点で配り終えた番号までを
抽選して決められる。リストバンドが400番まで配付さ
れて150番が引かれたらそこから400番までが順に入
場して、その後に1番から149番が入場するというシス
テム。誰にでも平等に最前列に行ける可能性があるという、
実にアメリカ的なシステム。で、この抽選の一連の作業を
イベンターがオーガナイズしているのではなく、ファンの
有志がやっているというのにも驚かされる。
 スタジアムのすぐ横では、ボードウォークフェスティバ
ルというイベントが行なわれていた。これはスタジアムの
そばに海辺のアミューズメントを再現しようというイベン
ト。出店が並んだり、舞台でバンド演奏があったり、アス
ファルトの上に砂を入れてビーチバレーをやってたり、ス
プリングスティーンのカラオケコンテストがあったり、盛
り沢山。出店の中には、アズベリーパークをプロモーショ
ンするものもあった。
 さて午後4時30分。ゲートCに戻ると、ホワイトボー
ドに当選番号が書かれていた。今日の当たりはナント29
8番。僕の前にはたったの10人しかいない。あまりの幸
運に思わず目を疑ってしまった。でも、それは紛れもない
事実で、整列が始まると、僕の前にはきっちり10人しか
いなかった。このゲートの周辺では、GAエリアのチケット
を求める何人もの人が「NEED 1 G.A」なんて書いた紙を手
に歩き回っている。ヨーロッパから来ている人もいるみたい。
 午後6時開場。ゲートまで係員が歩いて誘導するものだ
と思っていたが、チケットを切るやいなや、みんな一気に
走り出した。思わずその背中を追って走り出す。スタジア
ムの入口はステージのちょうど反対側にあった。いたると
ころでチケットをチェックされる。1度や2度ではない。フィールドに入る。走る速度を緩めて、まわりを眺めてみ
る。7万人収容のフットボール場だけにさすがに広い。何
か気分いい〜。アリーナ最前列、GAエリアに着いた時には、
開場前からいたらしい何人かの客がすでに陣取っていた。
最前列もあいてはいたが、中央2列目スプリングスティー
ンの真正面の場所に腰を降ろした。これだけ大きな会場で、
こんだけステージが目の前にあるのは、つま恋の吉田拓郎
(85年のオールナイト)以来だな。それにしても近い。
広くて高いステージだが、前に一段降りた一番近い場所な
ら、コザのモッズの舞台とPA席くらいの距離。5m足らず
ってとこ。
 GAのエリアには少しずつ人が集まってくるが、スタンド
席はなかなか人が埋まらない。3日続けて通っているとい
う横に座った日本人の男性は、スタートは8時半だったと
話していた。チケットでは7時半になっているのだが、こ
の前の2日間は8時半に始まったそうだ。ポートオーソリ
ティーからの最終バスが8時に出るから仕方ないと言って
いたが、それにしても1時間押しとは…。
 午後8時を回ると、場内もさすがにザワついてきた。散
発的に手拍子が起こったりする。ブーイングにしか聴こえ
ない「Bruuuuce!」という叫び声。後ろの男に促されて仕
方なく立ち上がる、GAエリアはすでにいっぱいで総立ち
の状態だ。スタンドを見上がると、最上段までギッシリと
埋まっている。
 きっちり8時半、突然場内の照明が落ちて、左右のスクリーンに楽屋の通路からステージに向かうE Street Band
の面々が映し出された。でも、あまりに舞台に近くて、そ
の画面はほとんど見えない。スタンド席の後ろの方から津
波のような歓声が押し寄せて、メンバーが一人ずつ舞台に
上がってきた。最後にゆっくりと、あっけなく登場したス
プリングスティーンは、笑顔で客席に手を振って、ギター
を手にすると1曲目を静かにうたいはじめた。

Giants Stadium
E. Rutherford, New Jersey
8/31/03 Night 10--Sunday

1) CYNTHIA
2) The Rising
3) Lonesome Day
4) NIGHT
5) LUCKY TOWN
6) Empty Sky
7) Waitin' on a Sunny Day
8) Spirit in the Night
9) BECAUSE THE NIGHT
10) Badlands
11) Two Hearts
12) No Surrender
13) Mary's Place
14) LOST IN THE FLOOD
15) Into the Fire
16) The Promised Land

Encore1--
17. KITTY'S BACK
18. Glory Days
19. Born To Run
Encore2--
20. My City of Ruins
21. Land of Hope and Dreams
22. Rosalita
23. Dancing in the Dark
Encore3--
24. Jersey Girl

 コンサートが終わったのは午後11時30分。きっちり
3時間。花火も放水も特殊効果も何もない、生身のロック
だけを堪能させてくれるステージだった。
 半ば放心状態でマンハッタンへ向かうバスへ乗る。午前
1時前に42丁目に着く。深夜にも関わらず明日がレイバ
ーデイの祝日ということもあってか、タイムズスクエアは、
多くの人であふれていた。



2003 / 8 / 30 ( sat )
曇り時々雨

 朝7時過ぎにホテルをチェックアウトする。今日は約450マイル(720kmぐらい)を一気に走ってマンハッ
タンに戻る。あわよくば、今夜のスプリングスティーンの
ライブもみれたらと思う。朝早い時間のハイウエイは交通
量も少なくて走りやすく、車は快調に進んでいった。単純
計算だと時速70マイルで6時間ちょっと。午後2時頃に
は着けるわけだ。でも、そうは問屋が卸さない。給油、食
事、途中からの雨、そして当然のごとく道に迷って、大き
な時間のロス。リンカーントンネルは相変わらずの渋滞で、
一昨日、車を借りたハーツに着いたのは、午後4時半を回
っていた。車を返して、再びガーシュウィンホテルにチェ
ックインする。長時間のドライブは思った以上に疲れてい
て、今日のライブはパス。
 夜、タイムズスクエアのあたりを一回り。6年前に比べ
て光の量がさらに増えたように思う。電力不足になるわけ
である。


2003 / 8 / 29 ( fri )
曇り

 昨夜はビンハムトンという小さな町のエコノロッジに泊
った。アズベリーパークから、地図を眺めながら、インタ
ーステイト、国道、州道と、いろいろ乗り換えて、対角線
に近いルートでナイアガラを目指したのだ。もう少し先の
ロチェスターあたりまで行けるかと思ってたんだけど。結
局、随分手前になってしまった。
 
 今日は8時前に出発した。出掛けにフロントのおばさん
にナイアガラまでどれくらいか尋ねると、4時間くらいと
いう話。お昼は向こうでとれるかもしれない。
 ニューヨーク州のハイウエイの制限速度は65マイル。
そこを大体75マイル(時速120キロぐらい)前後で走
らせる。道路の両側に町や家並が続くことなんてほとんど
なく、森と牧場と畑、緑の風景が流れていく。とても退屈
で時々、FMラジオのチューニングを変えてみたりする。何
かCDでも持ってきておくんだった。いつしか目的地までの
マイル数が減っていくのだけが楽しみになってしまう。
 サービスエリアのメニューは、マクドナルドやバーガー
キングをレストランだと認められない日本人にとっては、
とても味気ない。せめて中華のファーストフードでもある
といいんだけど。コーヒーは、スターバックスでさえ薄い
と感じる。
 ナイアガラの町に入ったのは、午後1時過ぎ。62号線
を何度か往復して、今日の宿泊先をクオリティインに決め
る。90ドルぐらい。この頃は、少々高くても少しはちゃ
んとした宿に泊りたいと思うようになった。
 コンサートは夜なので、とりあえずナイアガラの滝へ向
かう。アメリカ側に車を停めて、レインボーブリッジを歩
いてカナダ側へ渡る。この国境はちょうど10年ぶり。あ
の時、滝は凍っていて、人もほとんどいなかった。カナダ
側のイミグレーションを抜けると通りには華やかなイルミ
ネーションがあふれていた。通りを歩く観光客の数も断然
に多い。両替屋で20ドルだけカナダドルに替えたのだが、
結局何も買わず、1時間足らずでアメリカ側へ戻った。イ
ミグレーションでは相変わらず不愉快な思いをする。

 アレサ・フランクリンのコンサート会場は、ナイアガラ
から南に15分ほどのノース・トナワンダという小さな町
のニューメロディーフェアという劇場。チケットは、チケ
ットマスターのインターネットサイトで手配した。座席表
と照らすと、とてもいい席だった。開演1時間前、WILL
CALLという予約窓口を訪ねてチケットを受け取る。日本
から来たというと、受付のおばさんは、大げさに反応して
くれた。
 まだ、人影はまばらだが、そのまま木戸を抜けて中へ入
る。入ったところは普通ならロビーなのだが、屋根のない
フードコートみたいになっていた。まわりにはバーやパー
ラーが並んでいて、中央には沢山の椅子とテーブルが置か
れている。車なのでアルコールは飲めない。コーラを手に
して、ホールの入口近くに腰掛けた。空は秋の空だ。雨が
降る気配はないけれど、どんよりと曇っている。半袖のシ
ャツでは少し肌寒い感じがする。客は年配の人が多い。み
んなめかしこんでいるようにみえるのは気のせいだろうか。
入口から続々と入ってくる人たちを眺めていると、受付係
のおばさんが隣に腰掛けて話しかけてきた。まず聞かれた
のは「留学生か?」。窓口でも同じことを聞かれた。アジ
ア系の人間がこんな田舎町にいること自体が珍しいのかも
しれない。観光地だしアジア人は決して珍しくはないと思
うのだが。このおばさんは近郊にあるバッファローの大学
で働いているとのこと。今日のスタッフの多くはおばさん
なのだが、皆ボランティアで手伝っている風にみえる。1
8時30分開場。特にアナウンスもなく、ドアが開けられ
て、それに気づいた人が中に入っていく。
 場内はセンターに円形のステージがあって、それを客席
が360度囲んでいる。僕の席はステージ正面、前から3
列目の通路際だった。ということは、出入りの時に、この
すぐ横の通路を通るということである。何たる幸運。多分
1人でコンサートに足を運ぶ人なんて、そんなにいないん
だろう。それで、チケットマスターのホストコンピュータ
は、best availableな席として、この座席を選んでくれた
わけだ。
 開演時間を10分過ぎて、一人の男が舞台に立った。主
催者or司会の挨拶かと思っていると、コメディアンらしく、
男の一人喋りが始まった。でも、全然わからないんだなあ。
せめて、舞台が回転してくれて、男の顔を始終見なくてす
んで良かった。このトークショーが終わると20分間の休憩。
再び外の空気をすいに出る。
 再び席に戻ると、黒ずくめのミュージシャンが、ゾロゾ
ロとステージに姿をあらわした。舞台の上には4人の女性
コーラスと、ピアノ、オルガン奏者が各1人。舞台の向こ
う側のオーケストラピットには、ドラム、パーカッション、
マリンバ、ベース、ギター、ホーンセクションが5人くら
い、さらにバンドマスターがいるようだった。これだけで
もアレサを含めて18人。えらい大所帯だ。
 いきなり客席が暗転になるとバンドがオープニングのイ
ンストナンバーの演奏を始める。すぐ横の通路の奥を見る
と、大勢のボディーガードの男達に囲まれたアレサ・フラ
ンクリンの姿が見える。すでに客席は総立ちである。驚い
たことにみ〜んなカメラを手にしている。入口ではダメっ
て言ってたのに。せめて、使い捨てカメラでも買っとくん
だった。バンドの演奏が最高潮に達すると、まるでリング
に上るボクサーのようにアレサが姿をあらわした。目の間。
幅1m少しの通路を前後左右、6人の男に囲まれて、リズム
をとりながら舞台に進んでいった。水色のきれいな上着。
それと、ブルースブラザースのイメージが強かったので驚
いのだが、かなり恰幅がよくなっている。そのまま1曲目。
会場のノリがちょっと尋常ではない感じ。360度客席が
囲んでいるというのも、独特な雰囲気を醸し出しているよ
うだ。ノリのいい曲で何曲かブッ飛ばす。年齢は全然感じ
させない。
 曲間。センターステージで舞台の袖がないので、アレサ
は水を飲む時にもすぐ目の前までやってきて、ボディガー
ドに囲まれるようにして、汗をぬぐいグラスのミネラルウォーターを飲む。何だかその様も堂々としている。
 61歳の彼女、このツアーを最後に引退するという噂も
流れている。そんなこともあって、ここまで車を走らせて
きたのだが、ステージを見ていると、引退説が、デタラメ
に思えてくる。歌い上げるボーカルののびの素晴らしさは、
これまでに聴いたどんなアーティストにも勝るとも劣らな
い。バックのコーラス隊は、アレサのソロにすっかり聴き
惚れてしまっている。もちろん客席も。その声と歌だけで、
観客を完全に魅了してしまう歌い手はそう多くないと思う。
 ステージ中盤、5人ほどの若い女性ダンサーが通路に出
てきて激しいダンスを披露する。それにしても、一体何人
のメンバーでツアーをやっているんだろう。おそらく今日
の会場は1000人くらいのキャパシティで、2階には、
空席もある。余計なお世話だが、ちょっと心配になってし
まった。

 ショーは1時間ちょっとで幕を閉じた。アンコールもな
く実にあっけない幕切れ。でも、大満足だった。客席には、
アレサが放った熱が、しばらくの間渦巻いていた。歌われ
た曲で、聴いたことがあるのは「Rose is a still rose」
だけ。でも、曲を知っているとか知らないといったことを
越えた、圧倒的な存在感と迫力、歌の力を見せつけてくれ
た。技術云々というよりも、パワーで押し切ってしまう。
とにかく、すごいもんを見せられてしまった感じだ。

 帰り道、放心状態でマクドナルドに入る。



2003 / 8 / 28 ( thu )
晴れ


 10時にホテルを出て、23丁目のハーツまで、スーツ
ケースをゴロゴロと引き摺って行く。日本から予約した一
番安いセダンを借りて、そのままナイアガラへ向かうか南
のアズベリーパークへ行くか、車の中で迷う。明日、ナイ
アガラの隣町であるアレサ・フランクリンのライブのチケ
ットを予約しているのだ。慣れない土地で約500マイル
(800キロぐらいか)運転するのは気が重かったので、
そのまま行ってしまおうかと思ったのだが、思い直してア
ズベリーパークへ行くことにする。アズベリーパークは、
ブルース・スプリングスティーンの生まれた町。マンハッ
タンからだと1時間ちょっとで行けるはずなのだ。
 今回ニューヨークまでやってきた一番の目的は、隣町で、
彼のホームタウンでもあるニュージャージーでスプリング
スティーンのライブを見ることだったので。何で今時ブル
ース・スプリングスティーンなのかと言われても困るんだ
けど…。
 マンハッタンの道路事情は、おそらく東南アジアのそれ
とあまり変わらないと思う。渋滞はもちろん割り込み、ク
ラクション、工事の多さ、一方通行、あらゆるものが自由
な運転を邪魔してくる。結局、リンカーントンネルの入口
に辿り着くのに30分以上もかかってしまった。
 ハイウエイに乗れば一直線、というのは甘い話で、何度
も道に迷いながら午後1時過ぎにようやくアズベリーパー
クに辿り着いた。ニューヨークからは、思った以上に遠い。
多分、ここに暮らしている人たちにとってもそうなんじゃ
ないかな。あるいは、実際の距離よりも気分的なものかも
しれない。
 ボードウォーク、コンベンションホール、ストーンポ
ニー、向こうに広がる大西洋…。何度となく見聞きした町
並を、車で流していく。映画などでよく見るアメリカのス
モールタウンの風景が続く。海辺の廃虚と化したホテルや
遊園地、正体不明の建物。終わっている、完全に。スプリ
ングスティーンの初期の作品で歌われるこの町の風景と、
目の前に広がる風景がうまく像を結ばない。
 ビーチが見渡せるコンベンションホールのテラスでハン
バーガーの昼食をとる。一人で切り盛りしている風の女の
人がきれい。カウンターに置いたカメラを見つけて、「ラ
イカか?」と聞いてくる通りすがりの男。「プロか?」、
「何を撮る?」、「ここに住んでんのか?」…。どういう
つもりの問いなのかわからずにいると、そのまま「ハバグ
ッディ!」と言って、去っていった。沖の上空を宣伝用の
バーナーを引っ張ったセスナ機が横切っていく。曰く
「ニューヨーク市警にはいりませんか」。そういえば、マ
ンハッタンでもこの手の広告は、ものすごく目についた。
 ストーンポニー。スプリングスティーンが何度も出演し
たライブハウス。オープン前の店に、ビールを配達の男性
の後からついていって、中を見せてもらう。「写真撮って
もいいですか?」ときくと、「好きにどうぞ」。こういう
輩はいくらでもいるんだろうなぁ。ステージ前のフロアを
おじさんが丁寧にほうきで掃いていた。
 結局、アズベリーパークへの滞在は2時間足らず。町の
雰囲気のごくごく一部だけでも、味わうことができてよか
った。あとは、ナイアガラへ向けて車を走らせるだけ。今
日のうちでどれだけ近づけるだろうか。




2003 / 8 / 27 ( wed )
曇り/晴れ


 お昼前の成田エクスプレスで成田空港へ。相変わらず照
明が暗い成田。和食を食べて、ニューヨーク行きのユナイ
テッド航空に乗る。偏西風に乗って我慢を重ねて約11時
間ちょっと。JFKに着いたのは同じ日の午後3時過ぎだっ
た。6年ぶりのニューヨーク。タクシーで27丁目のガー
シュインホテルに入る。今夜は取り立ててやることもなく
地下鉄に乗ってヤンキースタジアムへ。いい席を買ったの
にナント、マツイは先発を外れていて、5回のレフトの守
備から出場。バドワイザーを1本買ったらすごく眠くなっ
て、8回終了と同時に球場を出る。28丁目の駅で降りて、
近くの屋台でトルコ料理(多分)を買ってホテルに戻る。



2003 / 8 / 26 ( tue )
曇り

 徹夜あけ。国際運転免許を朝一番でとって空港へ向かう。飛行機で爆睡して東京へ。朦朧としたまま新宿へ向かうが
道路が渋滞。ホテルへのチェックインをあきらめて、青山
のスタジオヘ行く。
 畠山美由紀さんへのインタビュー。最近ではソロでも大
活躍だが、一部の人にはポート・オブ・ノーツのボーカリ
ストと言った方が通りがいいのかもしれない。11月に
ショーロクラブのライブのゲストで歌ってもらうのだ。
 彼女はソウル・ボッサ・トリオでも歌っていて、以前沖
縄のリゾートでのライブに来たことがあるということだっ
た。そういえば、その時のライブに僕は出かけていたので
すよ。



2003 / 8 / 9 ( sat )
晴れ

 午後、那覇のホテルでポニーキャニオンというレコード
会社の人に会う。その後、デザイナーの山田さんに会い、
GET HAPPY RECORDS「社長」とゆらゆら帝国沖縄招聘の
打ち合わせ。


2003 / 8 / 8 ( fri )
晴れ/曇り


 朝食を食べたら吐きそうになる。こらえて空港へ。待た
されるのはやだよなぁ。臨時便が出たおかげで、10時台
の便に乗ることができた。那覇空港は、大勢の人でごった
がえしていた。見ればわかる、ひどい対応の仕方。台風の
時は、いつも言われることだが、そろそろ学習した方がい
いんじゃないの。大渋滞の中帰宅。
 メールをチェックして、豊見城のアウトレットモールし
びなーへ。スターダストレビューの根本要さんのインタビュー。
 
 ブルーススプリングスティーンの先月15日にニュージャージーで行なわれたライブのブートレッグが届く。PA
のラインから録音されたものではないらしが、音はすごく
いい。何でこういうものが流出するのか、ちょっと不思議。


2003 / 8 / 7 ( thu )
晴れ

 午前7時前に起きて、中江と空港へ行く。空席待ちの番
号は、すでに240番台だった。夕方以降は飛ぶかなぁと
思っていたが、結局、全便欠航。ダラダラと無為な1日を
過ごす。夕方、A&Wでコーヒーを飲みながら、通りを眺め
ていたらハワイにでもいるような気分になった。あまりの
日本人観光客の多さに。
 夜、近所の焼肉屋で中江と晩メシ。あれこれと世間話は
尽きず。分かれて一人「すけあくろ」へ向かう。カウンタ
ーに並んでいる泡盛を順番に、1杯ずつ飲んで行く。「白
百合」、「請福」、「宮の華」、「於茂登」…。BGMに流
れて板mama milkという京都のユニットがかなり良かった。
ウッドベースとアコーディオンのユニット。10月に沖縄
にも来るらしい。午前2時、ホテルに戻る。



2003 / 8 / 6 ( wed )
晴れ時々曇り

 台風の同行が気になる。 
 午前11時、石垣市長表敬。
 午後、沖縄銀行の支店長さんや青年会議所のメンバーに
次々と会う。
 どうやら明日、台風は本島直撃らしい。空港へ様子を見
に行くと、最後の2便がキャンセルになっていた。欠航し
たら、明日の朝7時30分からキャンセル待ちの手続きを
行なうとのこと。
 「KAPI」というエスニック料理屋で夕食をとって、白保
へ行く。今日は、沖縄行きの行程を決めてもらったり、い
ろいろと細かなことを詰めていかなければならない。
 午後10時前、ようやくリハーサルが始まる。舞踊の細
かなチェック。結構シビアな声が響いて、驚く。那覇公演
で披露されるはずの新曲も聴かせてもらった。そこに突然、
帰省中の大島保克さんが現れてビックリ。白保で会うのは
はじめて。ここでの顔が一番晴れやかな感じがするのは、
気のせいかな?



2003 / 8 / 5 ( tue )
曇り

 午前中の飛行機で石垣島へ。「白百合クラブ 東京へ行
く」の石垣プロモーション。飛行機を降りると、プロデュ
ーサーの新井さんが浅野忠信さん&チャラさん夫妻と子供
たちが飛行機に乗っていたと教えてくれたが、まったく気
づかず。機内でしきりに後ろを振り返っていた、貧相なバ
ックパッカーのような人が彼だったらしい。中江裕司は、
時間を間違えて大幅に遅刻する。
 午後3時、西玉得浩会長&中江裕司監督によるプロモー
ションがスタート。一気に新聞社とテレビ局などをまわる。

 夜、「あんまー食堂」でメシを喰って、白保へ行く。完
成した中江の本を直接手渡すために。編集の藤森さんも同
行している。石垣公演の曲順のことでメンバー同士喧々諤々。男女とも互いの主張を譲らない。お互いに言いたい
ことを言う。これが結局長続きする秘訣らしい。深夜1時
頃戻る。



2003 / 8 / 4 ( mon )
晴れ


 お昼前、琉球放送1階の喫茶店で、藤木勇人さんと待ち
合わせ。「カラカラ」のインタビュー。「ちゅらさん」が
終わってからも何だかんだと忙しい様子。役者、芸人だけ
ではなく、プロデューサーとしての役目も果たしているだ
けに、ちょっと大変そうだった。
 むつみ橋のスターバックスで、太陽風オーケストラのあ
しびなーでのライブに関する打合せ。その足で、パワース
テーションの上江洲さんと桜坂のスカラ座へ、白百合クラ
ブのライブのための会場の下見に行く。さらに、西町のム
ジカへ。
 今日は、ji ma maのコンベンションライブなのだ。ライ
ブの集客は今一つだったが、内容はとても濃くて評判も上
々だった。特に、最後の「空へ」という作品が印象的だっ
た。ショーロクラブのベースプレイヤー沢田穣治さんが、
サポートで加わる。終演後、久茂地のQ's Barへ流れる。




2003 / 8 / 3 ( sun )
晴れ


 午後、那覇OPA6階のタワーレコードで、ji ma maのイ
ンストアライブ。どれくらいの人が集まってくれるのか、
ギリギリまで気をもむが、相当の人が集まってくれて、CD
も売れた。パフォーマンスはCDに収録された3曲だけだっ
たが、インパクトはかなりあったと思う。演奏が始まると、
その場の雰囲気が一変してしまうのだ。

 終わって、キーボードをムジカに搬入して、パシフィッ
クホテルでコーヒーを飲みながら一人ミーティング。書か
なくてはならない原稿を箇条書きにして、それぞれの締め
切り日を割り振っていく。今月は、石垣島に合計1週間も
滞在する上、月末は海外へ出るので、スケジュール帳を眺
めてみてもほとんど時間がない。

 夕方、FC琉球が、サッカーの天皇杯予選の準決勝にコマ
を進めたことを知る。次は8月10日、昼12時。北谷の陸上
競技場で、沖縄かりゆしFCと対戦する。現在のFC琉球は、
昨年暮れにかりゆしFCを一斉に退団したメンバーでチーム
が構成されている。一方のかりゆしFCは、加藤久監督を迎
えて、元Jリーガーなどを集めて編成されたチームで、現在
九州リーグ2位。そんな「遺恨試合」が、公式戦で、これ
だけ早い時期に実現するとは夢にも思わなかった。選手達
は「遺恨」なんていうことは思っていても口にしないと思
うけど。九州リーグでは、沖縄の2チーム(かりゆしと海
邦銀行)を応援してはいるけど、この試合ではFC琉球に肩
入れしてしまうと思うなぁ。

 夜、宜野湾トロピカルビーチで花火見物。花火のスケー
ルにも驚いたが、その人の多さにさらに驚く。せめて、家
から歩いていける場所でよかった。


2003 / 8 / 2 ( sat )
晴れ時々曇り


 アールミュージックでキーボードを借りて、グルーヴ
へ。ji ma maのリハーサルのため。
 夕方、リウボウの本屋で、森達也さんの新刊「ベトナム
から来たもう一人のラストエンペラー」購入。映像作家と
して、数々の作品を発表してきた森さん。去年、秋に那覇
で会った時、書く仕事が増えてきたと話していたが、映像
作家としての視点は、ノンフィクションライターの新たな
形として、最高に近い形で機能しているように思う。今回
の作品も楽しみ。
 待ちに待った、ポルトガルからの手紙が届く。来年6月
のユーロ2004のチケット当選の確認書。グループリー
グ1試合と準々決勝2試合が当った。1年かけて旅費を貯
めていこうと思う。
 横浜マリノスの2点目を見届けて、那覇へ。ji ma maの
プロモーションに。

<お知らせ>
 8月3日(日)、本日。午後4時からタワーレコード那
覇店で、ji ma maのインストアライブを行ないます。沖縄
発の新たな才能のデビューライブに、是非起こし下さい。
入場無料です。


2003 / 8 / 1 ( fri )
晴れ時々曇り


 午前11時。オーガストイン久茂地で、ji ma ma一行と合
流する。昨日、久しぶりに飲んで、どこか頭の中に影がで
きた感じがする。
 ji ma maは、現在、プロモーション来沖中。今日も、合
わせて6本ほど取材を受けてもらう。3日午後4時からは、タワーレコードでインストアライブが、4日には、主にマ
スコミとディーラー向けのコンベンションライブがある。

 午後4時。中抜けして、北谷のかふうエンターテインメ
ントへ行く。しゃかりの千秋さんのインタビュー。30分
ほど話をさせてもらう。

 那覇へ戻って、途中、伊波緑さんにCDを渡したりする。
ji ma maのプロモーションにショーロクラブのベーシスト
の澤田穣治さんが合流する。



 2003年7月。
 ライブを11本やった。自分で歌うわけでも演奏するわ
けでもないのだが、結構消耗する。その間に、仕事&プラ
イベートを含めて、大阪、長崎、石垣島、やんばる、久茂
地と歩き回って、ほとんど落ち着くヒマがなかった。石垣
島の海が見えるカフェで、船戸与一の新作を読んだ。青い
海を眺めながら、カンボジアのダークサイドを歩く。至福
のひとときだった。家にいる間は、延々パソコンの前にい
た。チケットを買った井上陽水には行けなかった。水洩れ
の工事。森達也さんの「放送禁止歌」が文庫化されていた
ので、手にとった。表現には、多かれ少なかれ副作用が伴
うもの。今年一番の衝撃だった。佐渡山豊さんに読んで欲
しくて、読み終えた日に郵送した。たいした傷じゃなかっ
たが、車を当て逃げされた。部屋の中では、ブルーススプ
リングスティーンが延々と歌っていた。夏の終わり、ニュ
ージャージーへ行くことにした。



<お知らせ>
 8月21日、白百合クラブの「桜坂スローナイト」の前
売券、なかなかの勢いで売れています。マジです。完売必
至です。早めの購入をおすすめします。








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